馬鹿と貧乏と死の稽古⑦(2022.7)
今月号では金剛さまのお言葉をはじめ、歴史上の偉人の姿や実業家や文豪などの金言を参考に「仕事」と「人間関係」における「馬鹿の稽古」の実践例とその成果について学びます。
先月号では、「心を高く身を低 く」という「馬鹿の稽古」 の基本姿勢から、仕事においては、 「真心を込める」「最後までやり遂 げる」「常に工夫 (改良) を加える」 「黙ってする」「困難はチャンスと 思え」「努力できたことを喜ぶ (感 謝する)」といったところが、「馬 鹿の稽古」の実践ポイントと書き ました。
仕事に関する金剛さまのお言葉 に次のような一文があります。
「自分は未だその所を得て居らない と思うことは誤りである。凡ての人は皆何等かの事情と因縁とによって各々 其の在るべき所に置かれているのであ る。又其の所が転換するのにもそれだ けの必然の理由と運命とがあるので、 常に現在に最善を尽していればよいので、其の立場や地位は神ながらに委せ置くべきで、 策謀や暗躍は神意に叛き不安を増長する。 努力や奮闘は地位の 為にするのではない。仕事に対してす べきである。 地位は其の必然の結果と して得られる」『尊者の御遺文』403頁)
このお言葉は仕事における「馬 鹿の稽古」の実践の真髄を説いた ものです。 このお言葉を地でいっ た人が、奈良時代の政治家であり 学者であった吉備真備です。
吉備真備は遣唐使として唐に渡 り、時の玄宗皇帝から阿倍仲麻呂 と共にその才能を認められた人で した。帰国後は聖武天皇のブレー ンとして大いに活躍しましたが、 朝廷において権力を握った藤原仲 麻呂に疎まれ、五十六歳の時に肥後(熊本県)へ左遷され、それを皮切りに肥前、太宰府など、転々 と転勤させられます。 しかしなが 真備は、そうした冷遇に腐るこ となく、たとえ与えられた仕事が 自分にとって専門外のことでも誠 実に取り組み、その都度、着実に 業績を上げていきます。
やがて中央で藤原仲麻呂が乱を 起こすと、朝廷にその鎮圧を命 じられ、それをやり遂げ、以後七 十七歳で自ら引退するまで、右大臣の重責を果たし続けました。
真備のように左遷や冷遇にあっ ても、不得意な分野でも、手を抜 かず真摯に取り組んで成果を上げ る人は、真に信頼にあたる人です。 その足跡は、仕事における見事な 「馬鹿の稽古」の実践例です。
天職を極楽に
仕事における「馬鹿の稽古」の 実践は、仕事を幸せなものと実感 させることでもあります。
松下幸之助氏は、『繁栄のための 考え方』(PHP文庫) の中で次の ように語っています。「今、思い出すのですが、それは 夏のころでした。 毎日、日のある うちいっぱい仕事をするわけです。 そして晩には行水をするのです。 (中略)その行水をするときに、自 分でふと感じたことは、〝自分なが らきょうはよくやったな"という 感じです。 非常な満足感です。 (中 略)人にほめてもらうことも、私 はありがたいことだと思います。 しかし、まず自分が自分をほめるというような心境、 またそういう 心境になれるような仕事ぶりとい うもの、つまり、一日充実した仕 事をしたかどうかということです。 (中略)そういう〝きょう一日よく 働いたなぁ”というような感じを、 タライに湯を入れて、そこで行水 をしているその間に感じて、行水 もさわやかな感じがする、そして晩飯を食べるというようなことを 経験したものです。むしろ私は、 その当時がいちばん天国であった と思うのです」。
精一杯仕事をして、「今日の自分 に何も言うことがない。 よくやっ た」と自己評価できることは、と ても幸福なことです。松下氏の言 葉はこれを裏付ける言葉であり、 それは、「極楽とは天職の一範囲であ る」(『聖訓』 第三巻 228頁)との お言葉に合致します。 それは「馬 鹿の稽古」を実践する中で得られる境地です。
律儀と調和
「人間関係」では、「心を高く身を低く」を土台として 「謙虚」「感謝で受ける」を心がけ、「俐巧ぶる、偉ぶる、ありぶる」などぶらない ことが大切です。 こうした姿勢を 違う言葉に置き換えると、「誠実」 「律儀」という言葉になります。
谷沢永一氏は『人間通』(新潮選 書刊)の中で、最も好意を持たれ る人柄は「可愛気」であり、その 代表例である豊臣秀吉は、持って 生まれた可愛気により、天下の人 心を掴んだと述べています。
また「可愛気」の次に好まれる 美質は「律儀」で、その代表例で ある徳川家康は律儀さで天下を治 めたとあります。
秀吉のような可愛気は、多くは 天来のものであり、たとえば「ぶ りっ子」のように猿真似は、逆効 果となるのに対して、「律儀」は誰 でも努力すれば磨くことができる美質で、また磨かれた律儀さは限 りなく可愛気に近くなるという特 徴があります。 確かに常に誠実に 応対してくれる人は、好ましく、 愛らしい存在です。つまり「馬鹿 の稽古」の実践者である誠実で律 儀な人は、誰からも好まれる人と なることができるのです。
さらに「人間関係」をスムーズ にするために大切なコミュニケー ション上の「馬鹿の稽古」としては、 「聞く」ことに重きをおき、常に「そ うですね」と受けることが大切で す。こうしたコミュニケーション の実践は、相手を受容して調和す 基本となります。
小説家の武者小路実篤氏は、「君 は君我は我 されど仲よき」「仲 よきことは美しき哉」と色紙によく記しました。人は十人十色、そ れぞれに違いがあります。違いを 悪として排除しようとすれば闘争 となります。 違いを良いこととし て尊重し、受 け入れれば調和が生まれ、そこには多様性や豊かさが 育まれます。
御霊地の宝物館の二階には、「 自然摂理解 和」という大き なご真筆が掲げられています。 「人 の和」は「大自然摂理」 であり、「解 「脱である」という意味と拝するこ とができますが、 「和」していくこ とは大自然の法則に合うことであ り、解脱することです。 「馬鹿の稽 「古」の実践は、美しい 「調和」を 生む土台です。
今月号で「馬鹿の稽古」は終わ ります。 「馬鹿の稽古」の学びは奥 が深く、実践内容は多種多様です。 「心を高く身を低く」、 決して「ぶ る」ことなく、自分にとって一番 効果のある「馬鹿の稽古」を優先 して実践しましょう。