馬鹿と貧乏と死の稽古⑥(2022.6)
今月は、「馬鹿の稽古」における基本姿勢 「心 を高く身を低く」を土台に、「朝夕の挨拶」「仕事」「人間関係」に焦点をあてて、 日常生活に おける 「馬鹿の稽古」の実践の要点を学びます。
「馬鹿の稽古」の土台となる基本の姿勢が、「心を高く身を 低く」です。
この基本姿勢に沿って「馬鹿の 稽古」を実践する上で、心がける べきキーワードが「謙虚(謙遜)」 「感謝で受ける」 「努力」 「お任せ(求 めない)」の四つです。
この四つのキーワードの内、「謙 虚」と「感謝」は表裏一体であり、 自分の未熟さを知る謙虚さは感謝 を生み、恩恵に感謝する人は謙虚 です。 また、未熟な私たちは常に 「努力」 を忘れてはいけない存在で ある一方、与えられる結果は、 神 の目から見れば自分に相応しいも のであり、ゆえに 「結果は求めな い、お任せする」「感謝で受ける」 のが「馬鹿の稽古」 となります。
稽古に重要な朝夕の勤行
充実した人生とは、充実した一 日の積み重ねです。 「馬鹿の稽古」 もその日一日、「馬鹿の稽古」に徹 することによって成就します。
「朝に福徳円満な顔を神前に捧げ、 タに福徳円満な顔で御礼を申し上げ、その間福徳円満の一日を立ち 働いたら、嫌でも福徳円満にならざるを得まい」(『聖訓』第八巻 72頁)
この「福徳円満な顔」の部分を、 次に記す「馬鹿の稽古」のポイン トに合わせていけば、「馬鹿の稽 古」に徹することができます。 一日の出発と締めくくりは、 神 仏へのご挨拶です。 「馬鹿の稽古」 を実践する上での祈りの心は、次のお言葉に記されています。
「常に言う自分は馬鹿である。 自分程馬鹿なものはない。だから日々 神に直参して、どうか人並みにな るように、神のお力で使って頂き たいという心こそ、この謙遜の徳 の心こそ、己に自分の魂の中に神 が宿るのであります。 自分の心に 神宿らずして、 神に通ずるためし はありません」(『ご聖訓』 第五巻 66頁)
このお言葉を心において、朝夕 のご挨拶をすることです。
また金剛さまは、「朝に報恩の真」「夕に感謝の行」と示され、さ らに分かりやすく、 「朝に報恩の真とは、御使いくだされませ、 働かせてくだされませ」 「夕に感謝の行とは、今 日一日無事に御使いくだされ働かせくだされまして有難く御礼を申し上げる こと」 (『聖訓』 第三巻 11頁)と されています。このお言葉は、「馬 鹿の稽古」の一日の始まりと終わ りに相応しいものです。
「仕事」と「人間関係」
社会生活を営む人間にとって昼 間は、「仕事 (学業・家事育児等)」 と「人間関係」の時間です。
神の恩恵の中に生かされ生きている 私 たちに と っ て、 そ の日、縁 あって出会うものはすべて神から の恵みであり、また試練でもあります。 それらは自分自身を磨き、 共存共栄の世界を築くために必要なことです。目の前の仕事や課題、 また出会う人もすべてを感謝で受 けて、精一杯の努力をしていくことが、「馬鹿の稽古」の基本です。 「仕事」に関して言えば、「心を 高く身を低く」という基本姿勢と、 四つのキーワードから、 「真心を込 める(手を抜かない)」 「黙ってす る」 「最後までやり遂げる」 「常に工夫 (改良)を加える」 「困難はチ ャンスと思え」 「努力できたことを 喜ぶ(感謝する)」といったところ が「馬鹿の稽古」を実践する上で 心となります。
また「人間関係」 では、「謙虚」 「感謝で受ける」が土台で、「悧巧 ぶるぶる、ありぶる」など「ぶる」ことは禁物です。
「人間関係」の土台を作るコミュ ニケーションとして重要なことは、 「謙虚に聞く」ことです。 さらに「有 り難い」「お蔭さま」を常に口にす ること、誠意を込めて分かるよう に話すことです。 話す場合は、「『ハ イ』 という素直な返事」 「『そうで すね』 という受け答え」が大切で、 失敗したら「言い訳をしない」 「『す いません』と非を認める」ことです。
以上が「仕事」と「人間関係」 における 「馬鹿の稽古」の注意ポ イントです。 これらのポイントを自分に当てはめてみて、既にでき ている点は良いですが、 できていない点があったら、自分自身が特 に注意して行うべき「馬鹿の稽古」 ということになります。
どんな仕事も軽んじない
「仕事」と「人間関係」の「馬鹿の 稽古」をより理解するために、先 人先覚者の体験などを参考にして、 さらに理解を深めていきましょう。 ある婦人は、大きな神社への就職かビルの雑役婦の就職かで迷っ た時、 「あんたのようなわがままな婦人は、 下から勉強してきなさい。世の中は下から見るとよく分かっておもしろいよ」とのご指導を金剛さまから頂いたそです。金剛さまの言葉は絶対と受け取ったこの婦人は、雑役婦の仕事を選び、その中で「重役さんから小使いさ ん、給仕さんに至るまで、 一切体当たりの修行です。 意地悪されて も、 笑われても、有り難い勉強です」と努力する内に、そのビルに勤める人たちから様々な相談を 受けるようになり、最後は、「ありがたやさん」 というニック ネームを得るまでになったそうです。
この婦人と同じようなご指導に、 ある青年にされた 「お前は経済と いうものを知らないから、屑屋をやれ」というご指導があります。 この「屑屋をやれ」というご指導は、 他の方にもされており、仕事を通して自分を磨く上で重要なもので あったと拝察されます。 金剛さまは、「仕事という字はつかえる事と書く。 楽しみをもっ ておつかえすることである。 自分 も楽しく、 はたをらくにするからハタラクという」と言われていま す。 仕事に貴賤はありません。 ど のような仕事でも、他の人(は た)のために役立つ (らく)ので あれば、「雑役婦」も「屑屋」も立 派な仕事です。 仕事に軽重や大小はありますが、誰もやりたがらない、働いても評価が上がらないような仕事でも真心込めて勤めるこ とが、「馬鹿の稽古」の在り方です。
仏教では、 自分を一段と低い位 置において、下働きのような仕事 をする「下座行」という修行があ ります。 「小パンタカ」(四月号掲 載)を思い出していただけると分 かりやすいですが、そうした仕事に対しても、真心を込めて最後ま でその仕事を全うするのが「馬鹿 の稽古」です。