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体験(2022.3)

 

「実行のその先に 待っていた喜び」

熊本大津支部 杉島英紀(65歳)

私は今から九年前に解脱の縁にふれまし た。仕事は保険の代理店を営んでおり、顧客 である池松康博支部長と縄田豊治幹事長とは 兼ねてよりお付き合いがありました。支部への足運びは、特に懇意にさせていただいている縄田幹事長から、ご自身の信仰体験の記事 が掲載された解脱誌を頂いて、声をかけてもらったことがきっかけでした。宗教というと、どこか身構えてしまうイメージがありましたが、支部長から話を伺い、解脱は道徳を説く教えであると分かり入会しました。

 

私は無宗教で、仏壇には手を合わせない、 性格は短絡的で、人の好き嫌いが激しい自己中心的な人間でした。結婚して一男一女に恵まれて県内の妻の実家で暮らしておりましたが、十二年前に離婚。その後、熊本県玉名市 の私の実家に九十歳を過ぎた両親が二人で暮 らしていたため、戻って世話をすることになりました。幸いなことに私は自営業で時間の 融通がきくので、両親の昼食の用意や下の世 話など最低限度の介護をヘルパーさんの手を 借りながらしていました。

 

しかし私には、自分の子供への愛情はあっても親への敬愛は無く、むしろ「育ててもらって当たり前」と思っていましたので、親と一つ屋根の下に暮らしても、できれば同じ部屋には居たくありませんでした。

 

入会してしばらくして御五法修業の機会を頂き、支部長はこの時を待ってくれていたかのように仲介してくださいました。私の修業は霊動はあっても、文字でのお示しはなかったので、毎回御修業の度に支部長が私に必要な指導をしてくれ ました。 「先祖は、菩提寺を忘れてほしくないと思っているはずですよ」

 

支部長が指摘される通り、私はこれまで菩提寺境内 にある納骨堂に墓参に行っても、御 本尊様には一切お 参りしたことはありませんでした。そこで菩提寺の御本尊様にお供えを持参して、杉島家の先祖がお世話になっている御礼と、今日までの不敬をお詫びしました。何か 物事の筋道を教えていただいたような出来事でした。

 

それを皮切りに、毎月の御修業で頂いた支 部長からのご指導はすべて実践し、朝夕の勤行や先祖に手を合わせる生活を心がけるようになりました。そうする中で、年老いた両親 を介護する時の気持ちが、「世話をする」から「世話をさせてもらう」に変わり、次第に感謝の思いが芽生えていきました。そして、両親に心を向けるうちに、自分も親にたくさんの愛情を注いで育ててもらったことにやっと気づいたのです。

青天の霹靂のごとく

 

自宅で介護をしていた両親でしたが、令和元年に父が脳梗塞を患って入院し、同時に母は施設に入居することになりました。そして息つく間もなく、まさに青天の霹靂というべき出来事が起こりました。離婚後、離れて暮らしていた娘と十一年ぶりに再会することができたのです。きっかけはスマートフォンの無料コミュニケーションアプリの画面に、娘の顔のアイコンを発見したことからでした。 離婚後も娘の携帯電話を消去しなかったので、アプリケーションが自動的に娘を私の知り合いとして表示したのです。私はアイコンに瞼の裏に残る十代の娘の面影を重ね合わせながら、半信半疑でメッセージを送ると返信があったのです。 「きっと娘に違いない……」

私は事のいきさつを副支部長である節子支部長夫人に報告しました。重ねて娘から「家に泊めてほしい」というメッセージが来たことを伝えると、今は簡単に写真の画像を加工することができるから、まずは、家に招く前に外で会って、本当に自分の娘であることを確認してから話を進めるようにと親身になってアドバイスをしてくださり、また、どのようにして娘であることを確認するかも相談に乗っていただきました。

 

当日、会ってすぐに娘と分かりました。娘は二十八歳となり、保育士をしていました。 私は、もう会うことなど叶わないものと思っていただけに、喜びに沸き立ちました。また、再会をご報告すると、支部長夫妻も心から喜んでくださいました。

 

娘からメッセージのいきさつを聞いたところ、実は娘はその頃、付き合っていた彼との交際を母親から一方的に反対され、腹を立てて家を出て、ビジネスホテル暮らしをしていたのですが、お金が無くなり困っていたそうです。その時に、たまたま私からのメッセージが届いたのでした。

 

私は娘の願いを聞き入れ、令和二年三月の約一ヵ月間を娘と暮らすことにしました。その一ヵ月間は一緒に食事をするなど、親子の時間を取り戻すようなかけがえのないものでした。

 

思えば、萬部供養を申し込む時、離れて暮らしている息子と娘の幸せを願って「修身安楽」を申し込むことを、支部長夫妻からご指導いただいて以来、毎回申し込んでまいりましたので、この運びは、金剛さまのお蔭だと確信しております。

 

その後、令和二年の九月に父が一〇〇歳で亡くなった際にも、娘は通夜、告別式に参列してくれて、その後に母が一〇三歳で亡くなった時には、「通用門鑑」を拝受するために一人で支部に足を運んでくれました。娘は支部で支部長夫人から、祖母への思いを綴った手紙を「通用門鑑」に添えたら喜ぶことを 聞いて、葬儀の日に、用意してきた手紙を支部長夫人の介添えを頂いて、母の棺に納めてくれました。

 

実は、娘には祖父母の記憶はほとんどありません。それは、これまで私の母と妻が不仲だったことや、私が両親に孫を会わせようとしてこなかったため、実家との交流が少なかったからです。それなのに祖父母に心を向けてくれたのは、本当に嬉しいことでした。

 

私は今日まで、学びの成果にとらわれずに毎月の御修業に臨み、仲介の支部長から頂くご指導を実践することを心がけてきました。 それによって私が両親に感謝できるようになると、今度は途切れていた娘とのつながりが 生まれる運びを頂きました。

 

毎月頂く解脱誌の中に、努力して要求せずに人のためにお使いいただくことができれ ば、そこに喜びが生まれ、自分の幸せにつながる、とありました。これを心に、昨年よりお使いいただいている幹事の役目を通して、会員さんの幸せを一番に考えられている支部長夫妻の姿を手本に、会員さんが支部に来てよかったと思える環境づくりに尽力することが、これからの目標です。結婚して孫が生まれた娘たち家族を導くためにも、今の自分にできることを精一杯努めていきます。

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