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体験(2022.6)


「涙も思いも受け止めてくれたのは支部」

長浜神前支部 東野 紀子(45歳)


わが家で最初に解説にご縁を頂いたのは姉 でした。私は姉がやっていることだと遠巻き に見ていたのですが、 姉が嫁いだ後、御神前 や供養札が家にそのままになってしまいまし た。 何となく神様仏様のものを粗末に扱っ てはいけない気がして、取り扱いを姉に相談 したところ、 支部へ行くように言われ、これ をきっかけに自ら支部へ足を運ぶようになりました。

 

初めは感謝会などに参加する気にはなれ ず、とにかく会費だけは納めようと、 他の 会 員さんになるべく会わない時間帯を狙って支部を訪れる状態でした。 今庄和子支部長は私が顔を出すたび、「よく来たねえ。最近どう?」 と気さくに接してくださいましたが、私は 「特に何も」と当たり障りのない返事をして、 そそくさと支部を後にしていました。


実のところ、生活は決して順風満帆だった わけではありませんでした。 勤め先は夜勤も ある製造業で、肉体的な疲労に加えて人間関係のトラブルも抱えていました。 家庭では、 父親は私が子供の頃から病弱で、入退院を繰 り返していました。 私は父が怖くてできる だけ距離を置こうとしましたが、生活する上で介助が必要なため、関わらないことは不可能でした。



❷そんな心身ともに疲れ切った状態でも、自 分の辛さを支部長に打ち明けようとは思いま せんでした。 もともと自分の気持ちを言葉に するのが苦手で、親にも話したことがありま せんでした。 それに他人に悩みを話したとこ ろで何にもならないし、 ただ弱みを見せるだ けだと、どこか人間不信めいた偏った考えも 持っていました。

そんな私に、支部長はいつ も変わらない態度で、声をか け続けてくださいました。 そ うしたやり取りを繰り返すう ちに、いつしか他人に気にか けてもらえることは、こんな にも温かいことなのかと感じ るようになりました。 そして 支部へ通い出して五年ほど 経った頃でしょうか、支部長 より、これから解脱の教えと どう向き合うのか真剣に考えるように、とご指導を受けました。 嫌なこと から逃げてばかりいる自分に気づき、 変えた いと思い、私の解脱の学びは始まりました。

それからは少しずつ、職場のことや家庭の ことなど、自分が日頃感じていることを支部 で話すようになりました。 思えば私は、自分 も他人も信じられず、いつも 「居場所がない」 ような孤独感を抱えて生きてきました。 支部 長はそんな私と根気強く向き合い、 ゆっくり と思いを引き出してくださいました。

初めて知った「信じられる人がいる」とい う力強さは、まるで地に足が着いたような安 心感でした。 支部長のお蔭で、「どんなこと があっても、私は一人じゃない」と思えるようになったのです。

お浄めや御五法修業もさせていただくよう になり、 ある日の御修業で六代前のご先祖さ まから、 東野家の因縁についてお示しを頂き ました。 わが家には親子きょうだいが不仲に なる因縁があり、特に父親の強権に子供が従うという関係を代々繰り返してきたというこ とでした。 それはまさしく、私と父の関係で した。

 

子供の頃から、よその家と比べて、 どうし てうちは仲が悪いんだろう、 自分の中にある 父親への嫌悪感はどこから来ているんだろうと、ずっと疑問に思ってきたことの答えにた どり着けたことは嬉しいことでした。 このお 詫びの行に励めば、きっと自分は変わること ができると、明るい兆しのようなものを感じ ました。 ここから私の十年がかりのお詫びの 行が始まりました。

父と向き合う時間

それからお詫びの行として氏神様への日参 と土地供養の日々が始まりました。 体が疲れ ていても、夜勤の前の真夜中であっても、 欠 かさず続けられたのは、 御修業のたびに必ず 先祖から、「いつも見守っている」とのお示しを頂いたからでした。 支部長も「貴方だからできると託されたのよ」と言ってくださり、 そんな先祖の思いに応えなければと頑張るこ とができました。
お詫びに励む日々の傍ら、家庭にも変化が ありました。 父の体調が悪化し、日常的に介 護が必要な状態になったのです。 さらに母も 介護が必要となったため、私は母に代わって 家事をこなしながら、 父の介護にあたること になりました。 まるで、ずっと父から逃げてきた私のために、関わらざるを得ない状況が 用意されたようでした。 「親子の不仲」とい う因縁解消のお詫びを続けながら、同時に実 生活でも解消の機会を頂けたのです。

 

とはいえ、実際は 自 分の仕事と 並行して、 家事と介護に追われ、必死の毎日でした。 何 事も人に頼らずやろうとしてしまう私にとっ て、 「自分だけではできない 」ことを認めることがなかなかできませんでした。しかし、 できない自分を認め、制度を利用したり人に 相談したりすることは、私自身を変えるために必要な勉強でした。


また、父と過ごす機会が増えたことで、様々 な葛藤も覚えました。 父の無理な要求に苛 立ったり、時に私も感情的になって言い返し たりすることもありました。 そんな風であっ ても、親子で言いたいことを言い合うなんて 私には初めての経験でした。 感情をぶつけ合 うことで、どこか自分が父に「甘えている」 ような、不思議な感覚でした。

ある日、父から初めて「あ りがとう。 いつもすまんなぁ」 と言われた時には本当に驚き ました。 以来、父は周囲に「あ りがとう」と口にするように なり、晩年は穏やかなまま、 昨年五月に霊界入りしました。 今も御修業を通じて私を見守 っていることを伝えてくれ、 父の存在をいつも近くに感じています。

お詫びが通ったとのお示しを頂けたのは、 四年前でした。 ようやくスタートラインに立 てた思いでいた矢先、その年の年末に支部長 から仲介者のお役目のお話を頂いたのです。 ずっと自分のことで手一杯だった私が、これ からは人の役に立たせていただけることが、 涙が出るほど嬉しかったです。 また、昨年か らは支部の若手女性部会の部長にもお使いい ただいています。

これまでを振り返り、どれほど支部に支えていただいてきたかを噛みしめる思いです。 どこにも吐き出せない感情を抱えて支部へ行 き、 涙も思いもみんな支部の御神前で受け止 めていただきました。そのお蔭で、以前は日々に幸せを感じることもなく、ちっとも笑えな かった私が、今は支部で皆さんと過ごせるこ とが楽しくて、たくさん笑っています。

今後もお返しの行として、そして自分自身 の学びとして、頂いたお役目に精いっぱいお使いいただきます。


 

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