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体験(2022.4)

 

馬鹿になって真心を重ねた日々
 

広島可部支部 杉山 義彦 (80歳)

昨年の三月、私が長年にわたり抱えてきた一億円以上の負債が、すべて解消するというお運びを頂きました。「夢みたいだね、有り難いね」と夫婦で噛みしめ合う日々です。そもそも、私が巨額の負債を抱えることになったのは、会社で始めた墓苑事業によるものでした。当初は売れることを見込んで着手したのですが、諸々の準備や手続きを終えて墓苑が完成した平成十三年には社会の状況が変わり、思うように墓地は売れませんでした。結果、多額の工事費が未払いとなってしまったのです。私有財産を担保にしてその場をしのぎましたが、 全額返済する手立てはなく、あまりの金額に親族に頼ることも憚られ、夫婦で頭を抱えるしかありませんでした。

 そんな時、私を解説と結び付けてくれたのは妻のツユコでした。妻は結婚前に広島可部支部でお世話になったご縁から、その時も解脱誌を送っていただいていたのです。妻に誘われるまま初めて支部を訪れると、当時の猪子勝支部長が温かく迎えてくださり、夜遅くまで解脱の話をしてくださいました。 私は教えの確かさに感じ入り、何より支部長の包み込むような優しさに、まるで神様に出会ったような思いがして、即入会を決めました。

とはいえ、私も妻も、解脱によって借金の問題まで解決してもらおうとは思っていませんでした。ただ、どうにもならない状況の中、何か心の拠りどころが欲しい一心で、支部へ通い続けたのでした。

 

 そんな折に、忘れられないご指導を頂きました。債権者である工事会社との間で、とうとう裁判に発展する事態となり、私は受けて立つ心づもりで支部へご報告に行きました。ところが支部長は、「それは間違っている。あんたが馬鹿になって頭を下げて、もう一度、話し合ってもらえるように頼むことだよ」とおっしゃられたのです。

 借金をしているのはこちらですから、相手に対して 「申し訳ない」という思いは確かにありました。しかし一方で、「裁判で少しでも自分が有利になろう」「相手を打ちのめしてやる」 と考えてしまう心が私の中にあることを、支部長は見抜いておられたのです。

 反発する気持ちもありましたが、私にとって支部長の言葉は神様の言葉ですから、ご指 導に従って債権者に「裁判ではなく話し合いをさせてほしい」と頭を下げました。その結果、 ひとまず事業は続けながら、話し合いの席についてもらえることになりました。

 それから年に数回、債権者である工事会社と弁護士を交えた交渉の場が設けられました。しかし不思議と険悪な雰囲気はなく、どうすれば未払い金を支払えるかを双方が真剣に検討する光景はまるで社内会議のようで、相手の弁護士も「こんな和やかな債権取り立て交渉は見たことがない」と驚くほどでした。自分が対立する心で臨むから、相手もそうなる。本当に自分が変われば、相手も変わるのだと分からせていただきました。

とはいえ、私どもの手放せるものはすべて手放しても借金の全額には程遠く、解決策が見つからないまま、膠着状態は続きました。「馬鹿になれ」という支部長の言葉はいつも頭にありましたが、相手から返済を詰め寄られれば、悔しさを覚えることもありました。そんな現状を支部でご報告すると、支部長は 「相手は正当な理由で、正当なことを言っている。こちらが謝っているのだから、そこは間違えないようにしなさいよ」と、私が道を誤らないよう心を正してくださいました。

 

 さらに支部長のご指導で始めさせていただいたのが、債権者のご供養札を頂いての天茶 供養でした。 夫婦で毎日欠かさず、債権者とそのご先祖へ感謝のご供養をさせていただき ました。また、債権者の会社近くの氏神様へも、折に触れてお参りさせていただきました。

 

真心が通じた
平成二十八年、東京勤めだった次男が戻ってくることになり、それを機に会社の墓苑事業を、次男が個人事業主として引き継いでくれることになりました。 その際、今まで話していなかった借金のことを伝え、決して上向きな事業でないことも理解した上で、 次男は 「やる」と言ってくれました。これで会社は 墓苑事業から手を引きましたが、借金はそのままです。 しかしこの二年後、膠着していた事態が突然、動き出したのです。

きっかけは、債権の担保となっている私の土地の抵当権の抹消を、こちらがお願いしたことでした。相手はそれを承諾してくださり、さらに「当社に利益が出たので、私の持つ債権を損金処理したい」と提案されたのです。 そうすれば相手の会社は税を軽減できるのですが、そのためには税法上、その債務者が「回収不能が確実な状態」であること、つまり私の会社を破産させる必要がありました。

これは、こちらにとっても願ってもないことでした。 実は役員借入金として、私が会社に貸した七千万円分の債権がわが家に残って おり、債権も相続税の対象となるため、私が死んだ時に残された家内や子供たちを困らせることがずっと気がかりだったのです。 会社 が倒産すれば、その債権も無くなります。

しかも、これは言うなれば、債権者である相手は、本来ならば私から取れるはずだった一億円以上ものお金を、まるごと諦めてくれるということです。 本当にもったいない申し出に心から感謝しました。

そこからは弁護士の力を借りて会社の破産手続きを進めました。会社の持つあらゆる契約の解除や所有物の売却などに目が回るような二年間でしたが、次男も手伝ってくれ、令和三年三月にようやく最後の裁判手続きを終えることができたのです。

債権者に裁判終了のご報告に伺うと、「しっかりやってください」と激励の言葉までかけてくださいました。支部では猪子恭一支部長が心から喜んでくださり、「杉山さん夫婦が、解脱の教えに忠実に対処したからだね」とおっしゃっていただきました。

一連の運びを振り返り、本当に真心は通じるのだとつくづく思います。 何もかも失ってもおかしくなかった私たちが、こうして借金の苦しみから解放され、変わらずわが家で夫婦 ともに心穏やかに暮らせることは、 金剛さまのお計らいとしか考えられません。また、債権者はじめ関係者の誰もが温かい態度で今回の解決を喜んでくださることも、すべて解脱のお蔭です。何より、ずっと親同然に私たちを導いてくださった亡き猪子勝名誉支部長には感謝しきれない思いです。

支部長からは「これで終わったのではないですよ」 とも勉強を頂きました。 借金は無くなっても、御恩に終わりはありません。債権者の供養札は今後もわが家の供養器にお迎えし、感謝の供養を一生続けていきます。 また今年から頂いた支部幹事長のお役目も、お返しの行として精一杯努めてまいります。

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