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いま知る!インタビュー(2022.6)

 古今亭 圓菊

「大切な一人ひとりの人生 落語で面白く豊かに」

落語は特別なものではない。 究極の「あるある」。 日常に潜むちょっと した失敗を「そうそう!」と笑いに替えて楽しむ日本独特の文化。 善悪の グレーゾーンに寄り添いながらお互いを認め何となく尊重し合う。先が見 えない時にも「あれっ、いいかも」と思える不思議。 味わって欲しい。

プロフィール/ここんていえんぎく

本名・藤原浩司。 落語協会所属。 出囃子「武蔵名物」。 1970年7月19日、東京墨田区生まれ。父は落語家二代目古今亭圓菊。2021年10月、 三代目古今亭圓楽を襲名。前名は古今亭菊生。

今となっては笑い話ですが、 小三の頃まで 父親はタクシー会社の社長で、 家に出入りしているお弟子さんは社員だと思ってた。 当 時、テレビドラマでタクシー運転手の役を演じ、 自身も「俺はタクシー運転手だ」と言ってたの で(笑)。

それが小学校の謝恩会で先生から「おまえ、 父親が噺家なんだから落語をやれ」と言われ、 帰宅して訊いたら「俺は噺家だよ」。 で、先生 から父に話があったみたいで、「おまえ、ちょっ と「初天神」教えるから覚えてみろ」と。ただ、 自分は「プロの噺家だから」と、お弟子さんに 「教えなさい」 となり、 “師匠の倅に教えるなん て”と戸惑いながら教えてくれる。 けど「それ 違う!」と横やりが入る。 目の前で「あんちゃん」と呼んで慕っていた志ん弥師匠や菊春師匠らが怒られる。 全く地獄絵図でした(笑)。

 

そんなこともあって、絶対にやりたくない仕 事が噺家でした。 無理強いされればそうなりま すって(笑)。でも、高二の夏休み、進路を決める時、着物に携わる仕事がしたいと考えた。

家にはいつも師匠の着物が掛かっていて カッ コいいなぁ、と思っていたからなんです。で、呉服屋、歌舞伎役者、相撲取り等々調べ たけど、どれも無理。 そこでハタと気づいた。 アッ、噺家はどうだろ、面白いし着物は着られ るし、灯台下暗しだ、ってね(笑)。

そうと決まれば高校中退して直ぐ弟子入りしようと。 でも父親に「高校だけは出ておけ。 そ の後、噺家を目指すなら、 この一年で入りたい 一門を決めなさい」と言われ、それから学校、 バイト、寄席通い。 「圓菊の倅です」 って言う と浅草演芸ホールにタダで入れてね、毎日トリ の三~四席を聴きまくった。

そして一年後。 「で、どこに入る?」と師匠。 「はい、柳家小せん師匠に」 「馬鹿。 うちは古今亭だよ。 圓菊の倅が柳家一門に入ったら、俺が 笑いものだ」。

それならと、 古今亭一門の師匠の名を挙げた んですが、首を縦に振らない。 「じゃあ、誰な らいいんですか?」「・・・・・・俺で、良くないか?」。ねえ、可愛いでしょ(笑)。 私は元々そうしたいと思っていたのに「俺以外のところで」と、師匠は私を弟子に取ってくれないっていう雰囲気の話になってたから(笑)。

まぁ晴れて弟子になれたけど、 修行は兄弟子 の志ん弥師匠のところで四年半。 これがまた大 変でした。 生みの師匠と育ての師匠、 師匠が二人っていうのは、そりゃあもう…! 「おまえはどっちを信用するんだ」 から始まり 「どっちが好きなんだ」 ってね(笑)。

私が子供の頃、 師匠はとにかく忙しくて、噺 家としても冴えていたし 、 弟子も多くて、 親父と倅 の 関 わ りは何もあ り ませ んでし た。 で も、 師匠と弟子になってからは密でした。 夜、風呂 に入りながら稽古してると、ガラッと扉を開け て「違う!」と。 身体洗ってる最中、その姿勢 のまま聞くと石鹸が身体に張り付いて痒くなる けれど動けない。しばらく芸論を語って扉を閉 め、ホッとした次の瞬間に、「ああ、それから もう一つ」って(笑)。 濃密でしょ(笑)。 苦労人の師匠には一つの帝王学があって、 「俺は自分の落語を演じるために努力してきた。 それを身内が分からなくてどうする。 俺の ことが好きだったら、俺の頭の中を読め」 難しいです、 これは。

面白かったですよ、噺家の家っていうのは。 でも、一番苦労してたのはお袋ですね。 師匠が弟子を取る時など、 女性目線で見て「こ の子なら苦労して育てるのもいいかな」 と。す ると師匠が「おまえがそう言うなら取ろうか」 となる。 噺家は女将さんに好かれれば、ダメも 良くなるってことでしょうが、噺家には師匠が いるけれど、噺家 の 女 将 さんは独学で学ばなくてはならないから大変。ほぼ第六感ですね。

人間、何が大変って、 人を怒ることほど大変 なことはありませんね。 これを言ったら嫌わ れる” と思ったら怒れなくなる。 でも本気で育 てようと思ったら怒らなくてはならない。 その 葛藤があったと思いますよ。

 

ただね、こういう話をすると、お袋は人の気 持ちが良く分かって、子供たちにもさぞ優し かったんだろうな、って思われがちですが、 申し訳ないけれど、母親としてはどうなのか(笑)。

 

例えば、噺家は夜遅い仕事なので、お袋は夜 型でね。 子供には朝飯が無く、 その日初めての 食事が学校の給食。朝八時に来る前座には「こ れ食べて寄席に行きな」って朝飯の用意がある んだけど。 それに、とにかく貧乏だったから、 前座に食べさせるものはあっても子供には無い んです。 うちは師匠、お袋、 子供三人の五人家 族で、夕飯にコロッケ三個買って来る。 師匠が 一つ、あと二つを子供三人で分けろと。 で、 お 袋はというと、 「あたしはメンチカツが好きだ から」って、別に買ったメンチカツを一人で食 べてる (笑)。 分かんないでしょ、これ。 だからすごい貧乏じゃないけど、変だよね。

でも私が噺家になることに一番反対したのは お袋でした。 家の苦労を嫌というほど知って るからでしょうね。 前座の修行時代、ずっと口 もきいてくれず、否定しっぱなし。だから二つ目になった時に家を出ました。 食うや食わずで大変でしたけど、何かの機会に家に帰ったら、 突然、お袋が丸くなっていて、妙に優しくてびっ くりしたことがあります。

もう一つ、びっくりしたことがあってね、普 段、親父とお袋って仲が悪いんですよ。 それが ある時、すごく仲良く帰って来て、 「墓を買っ てきた」 って。 「墓って、俺もはいるんでしょ。 何で相談がないの?」「嫌ならおまえは自分で 作れ。ただね、 保証人が必要でさ、悪いけどお まえの名前書いた」 「なら場所くらい教えて」 と言うと、渋々教えてくれた。 「それでお金を 全部使ったので開眼式の費用はおまえ、出して くれ。 おまえも入るんだから」(笑)。

二人が元気な頃の話です。 けど残念なのは、 お袋は私の襲名一年前に亡くなった。 「圓菊」となった姿を見せたかったと、正直、思います。 私は師匠が七十歳の時に一人暮らしをやめて 家に帰ったんだけど、 それも又、落語なんです。 私がアパートの更新をしようとしていたら、「お まえ、親が七十ってぇと、大概帰ってくるぞ」 「そうなの? 帰らないとダメ?」 「ダメとは言わないけどよ…」と淋しい顔をした。珍しく親の顔をしたなぁと思って帰った  (笑)。

最近、遺品を整理してたら、 お袋が親父に宛てたラブレターが山ほど出てきたんです。だか らね、ベタベタするだけが仲いいってことじゃなくて、阿吽の呼吸というか、なるべくして二人は夫婦になったんですね。

 

落語はしゃべることより絵を描くことに似ています。絵は、デッサン、色彩、トリッ クアートのような奇想天外さ等々、様々なバリ エーションがあるでしょ。 言葉も同じで、 言葉を見る、つまり噺家がしゃべるのを見ると、ど れだけバリエーションがあるか、それを想像力で聞き取ると、 楽しさや笑いが倍増します。

噺家も落語を覚えるというよりは、 色、柄、 濃淡等すべてを入れられる脳の部分をフル回転 する。 ただ、噺家はそれを勉強としてやるんじゃ なく、 楽しまなくちゃダメ。 興味を持ったも のに突っ込んで、それをよく調べて、「なるほ どこういうことか」 と。 時にはカーブ、 時には ストレート。多方面から見て、どこかに糸口が あったら、 そこから突っ込む。 突っ込まないっ ていうのは絶対に無し (笑)。 人の人生でもそ うじゃないですか? 生きててマイナスは無い んです。 すべての経験に価値があると思いますよ、どんな悪いことでも。

落語に「言い立て」というものがあります。 例えば「黄金餅」は「下谷の山崎町を出まして、 あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広 小路駅に出てまいりまして、御成街道を真っ直ぐに~」 って道中付けがありますが、 それは覚 えるだけではなく、 実際に歩いたほうがいい。 すると、“えっ、こんなに歩いてたの! って 思う。 師匠に言われたからやるんじゃなくて、 気になったら行動し、興味を持ったことに突っ込む。 こんなことを常にやってると、 噺家って 楽しいです (笑)。 それと、どんな仕事でもそ うだと思いますが、基礎が大事です。 ピカソは デッサンからしっかりと基本を描いた時代を経 て、独自の世界を表現した。 落語も同じです。

 

志ん生師匠がよく言っていたのは、「生きた脳と死んだ脳で考えることが違う」ってこと。 死んだ脳で考えたら生き生きしない。 面白っぽ く演ってるけど、何かゾンビ。 面白いのレベル が低いねに発展がない。 一発は面白いけど、 それで終わり。 けど生きた脳で考えた噺は、ウ ケた後にも、 「こうするともっと面白い」と、 豊かな想像力が働き、 色々と発展する。

 

そう、噺家は楽しく表現するためにどうする かを常に考えてます。 古典落語でも、元は新作。 それが時を経て、 様々な試行錯誤の語り継ぎが あって古典になるんです。 お客さんは古典と新 作 その両方を客観的に見て楽しんでくださる。 自由に、もっと自由に想像力を働かせると、 本 当に面白いと思いますよ。

 

寄席は慣れないと敷居が高いと感じるかもしれませんが、落語は究極の“あるある” です。 日常に潜むちょっとした失敗、誰もが経験した ことのあるしくじり、 「そうそう!」 って共感 できる何か。それが笑いを誘うんですね。多分 それは、日本独特の文化。 着物を着て、座布団 の上で登場人物全員の役を四十分程かけて演じ る芸は落語だけじゃないでしょうか。

人生を面白く生きる豊かさを、落語から感じ 取ってもらえたら嬉しい。けれど噺家がウケ よう。 と頑張るほどドヤ顔になり(笑)、それ は粋じゃない。 落語ですから、 あるあるですか らと気軽に楽しんでもらいたい。

最近、何だか、先代が一緒にいるような気が するんです。ふっとね、匂いがするんですよ。 *あっ、居た! 見てたんだな”ってよく感じ ます。 見えない繋がりってあるんですね。 いゃあ、ちょっとしゃべり過ぎました。 でも まぁ、いろいろと大変な昨今、悪く考えたらき りがないけど、何事も明るく笑いに転換すると、 とりあえずひと休みしようって気になります。 どうぞ寄席にお運びください。

(談・了)

 

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