いま知る!インタビュー(2022.5)
落語家 古今亭 圓菊(ここんてい えんぎく)
「噺家には定年がない。修行は一生続く」
2021年10月31日、 三代目古今亭圓菊襲名。 親の名跡を継ぐ。 簡単な ことではない。 「聞く・見る」と「行う」は大いに違う。何にでも言え ることだが、事は芸。まして人生の機微を演じて笑いと涙を提供する噺家。 一朝一夕に従うものではない。
プロフィール/ここんていえんぎく
本名・藤原浩司。 落語協会所属。 出囃子「武蔵名物」。 1970年7月19日、東京墨田区生まれ。父は落語家二代目古今亭圓菊。2021年10月、 三代目古今亭圓楽を襲名。前名は古今亭菊生。
三代目古今亭圓菊です。お初、じゃなく、前名「菊生」の時、貴会の「YGイン タビュー」に出させていただきました。 (平成 十八年五月号)
父親の二代目古今亭圓菊も 「サンサン」(平 成七年) や 「YG」 (昭和五十九年一月号) に 掲載していただき、親子二代に亘ってお世話になり、有り難く思っております。先代が身罷って今年で十年。昨年十月に襲名 したんですが、 そもそも先代は「圓菊の名前は 当代で終わりにしたい」と口酸っぱく言ってた んです。 初代は師匠の古今亭志ん生が「三遊亭」を名乗ってた二つ目の時の名だから。 私は長いことそれを真に受けて五年前に襲名の話があった時には正直、戸惑ってね。けど「倅が継がなくてどうする」とか「師匠への恩返しとして応援するから」等々言ってくださる熱心な方々がいて、 やっぱりいつかは「圓菊襲名」という形で応えなくてはいけないだろうな と考えてました。
ただね、名跡だからこそ満場一致で襲名ってことにならなくてはいけない。一門の先輩方をさしおいて、倅だからって襲名するのは一門の分裂を招きかねない。 やはりここは私自身の芸への努力によって、皆に認められてからにしたい。で、それから四年半かかりました(笑)。
このご時世ですから、大々的な襲名披露とい うのは自粛しなくてはならなかったんですが、有り難いことに昨秋はコロナ禍が少し下火に なっていたので、 上野 精養軒でさせていただ きました。お蔭さまで、 アサヒグループホール ディングスの勝木社長、 ユニ・チャームの高原 社長、明治大学教授の齋藤孝先生が祝辞を寄せ てくださり、 披露宴には贔屓筋のお歴々をはじ 席亭落語協会の師匠ら大勢の方々が祝いに 駆け付けてくださり、私としてはもったいないほど盛大で、今後の活動の力添えを頂きました。本当に感謝しかありません。
少しでも報いるには精一杯努力しなくてはな りません。 けど 「菊生」の期間が二十年半あっ たでしょ。 自分ではなかなか慣れなくて電話が かかってくると「はい、菊生です」なんて応えてしまう (笑)。 周りはすごく順応が早くて、 この半年間でいろいろな方に会いましたが皆、 「圓菊さん」って言ってくださる。 嬉しいですね。 やはりこれは先代がいかに愛されたか、いか に施したかということですよ。 先代への恩返し で、ビシッと一瞬にして私を 「三代目圓菊」と 認めてくださる。 正直 先代に憧れます。 昔は 口が裂けても言え なかったけど、 あんな個性が 欲し いです。
先代は 天 才の 努力好きでし 稽古、大好き。落語のことしか考えてないから二十四時間稽古 してる。 よく寝言で、 「眠いな、寝かせてくれ」 なんて言ってました(笑)。
また優しい人でね、嫌ってた人なんていない んじゃないですか? 落語界では普通、前座を 育てて二つ目になったら新しい前座が入る。 けど先代のところには常時、前座が五人ほどいま した。今となっては笑い話ですが、 落語協会の上の方から「粗製乱造です。 圓菊さんは弟子を取ってはいけません」 と、 「弟子取り不可令」 が出た。 初めてで二例目はありません(笑)。
噺家は人前でしゃべる商売。 で、 何が重要 かというと、「聞くこと」なんです。 世 の中の大体のことは表裏一体でしょ。 「話す」 ことは 「聞く」こと。 例えば落語で遠くの人を 呼ぶ時には、 小さい声で言った方がお客さんに は遠くに聞こえる。 泣く時は笑った方が泣いて いることが伝わる。 そうやって何でも全部、裏 返しにしたら人間が天邪鬼になっちゃうから良 くないけど(笑)、 どちらかに決めつけるのが 一番良くないかも。噺家には定年がなく、 死ぬまで現役でやれる というのが一番の福利厚生というか、有り難い ですね。 ずっと研究できる。 一生勉強できる。 不思議なことに年を取る毎に落語は短くなり ます。 基本四十分の噺を若い時は全身全霊かけ てやってたけれど、 肩の力が抜けてくると十五 分くらいでできるようになる。 面白さは変わら ないし、噺の筋が変わっているわけでもない。やはり勉強、努力なんですね。 落語界には絶 対的な天才がいるんです。 話芸の天才というよ り「時間の天才」。うまく時間を操る。これは努力の賜物。つまり天才=努力家。努力が楽し くて仕様がないのが天才噺家。えっ、私? 天才なわけないじゃないですか。 至って凡人ですよ。ただ、一つだけ強みがあるとすれば、子供の頃から家に落語があった。 家の家に生まれたから、 どんな奇想天外なこと にも驚かない。 例えば、 両親共留守なのに師匠 の客が自分の家のように、泊まって寛いでい るってことなど日常茶飯事でしたよ。
いえね、弟子ではないんです。 先代園菊は弟 子にしようと思ったら家には入れなかったと思います。 今から思えば学生風の人が多かった。 税理士とか弁護士とかの国家試験を目指しなが ら、何度も落ちて、もう田舎に帰ろうと思っ て最後に寄席に来て、 圓菊の芸を見て力をもらい、 会いに来て、そのまま泊まり込んでいたと か。 身寄りなく食えなくて「俺を頼って来てく れたんだ、飯くらい食べさせるよ」 ってな、いわば人助け精神とでもいいましょうか。
ともかく、そのあたりを詳らかにするのは野 暮なんです。 なぜ居たかに触れないところが粋 というか。 噺も、 分からないところは分からな い ままにしてお客さん自身にまた落語に行こ う。と繋げてもらう。 それを分かりやすくやったり、わざわざ難しくしたりするのは粋じゃな い。 人情の機微をちょうどいいところで感じて もらう、その微妙さ加減が粋なんです。
落語の噺というのはすべてが粋と野暮で構成 されていて、その日の客層とか、客席の雰囲気 で変えてる。 「寄席」 とは 「寄せ集め」 ってことで、いろんなスタイルがあっていいんです。 ただ、「ネタ帳」 ってものがありまして、 その日の前に出た噺(ネタ)を後から登 る人は できない。だから、 先にネタを決めて 今日は これでやるぞ、ってのはできない。 それは臨場 感、 アドリブをお客さんに楽しんでもらう工夫 かな。 例えば私がその日にやる前は、私の前の 人が話し始めたところで決まる。 それが当たり 前の世界。 簡単に考えると、 これは絶対に他と かぶらないっていう噺を、寄席は十日間興行な ので、 十席持っていればいいわけです。 でも、 そ れじゃあ努力というものが無さすぎる。 寄席のプログラムには噺家の名前だけあっ て、 演目が書いてないのはそういうことなんで す。 大変ですよ、ホントは。 けどそれをわざわ ざ言わないってところに粋があるんです。
噺家の修行は何かって? ひとことで言 うなら「愉快への変換」。 修行は誰でも 辛い。 これをどう 「楽しみ」 に変換するか。 分 からないうちは 「難しい」。 “やめちゃおうか なって考えるんだけど、もうちょっと、もう ちょっとと変換の練習をしてると、“よし、これはこうしよう。 ってな境地がある。すると 「辛い」が「楽しい」 に変わる。 落語に出てく る熊さん、八っつぁんはそれができているから 面白い。 大抵は失敗談でね (笑)。 成功談なん て聞いても面白くないじゃないですか。 やっぱ り、悲しみ、苦しみ、 失敗談等を明るくチャン チャンと終わらせるから面白い。そりゃあね、そこに気づくまでには時間がか かります。 「石の上にも三年」ですよ。 一年で 分かる人もいるけど、たいていは修行を続けて 三年。 で、 三年で分かったことをその半分の一 年半かけて復習する。 答え合わせをする。 そこ で「やっぱりそうだったんだな!」と腑に落ち たら「二つ目昇進」 が待ってる(笑)。 こうして良い方に気持ちを合わせながら修行 するんだけど、世間で言う 「ポジティブシンキ ング」とはちょっと違うかな。 形にならない し、どこがどうなのか分からないけど・・・・・・・、やっ ぱり粋か野暮か。 形や言葉がすべてじゃないん です。臨機応変、その場その場でそこにある情 報を変換していく応用力、対応力。 その訓練。
最近、「神ってる」って言葉、聞くでしょ? 噺家って、ちょっと「神ってる」 ところがあ る。普通だったら気づかないものが見えたり、 いろんな経験がどんどん与えられるような気が するんです。 稽古の時じゃなく、一歩家を出て、 高座等の行き帰り道で強烈に目に入って来る何 か、可笑しいね、なるほど人間の心理だよね ってなこと。 噺には「下げ」がないと収まらな いんで、いつも頭のどこかで面白い 「下げ」を 探しているのかもしれない。
そしてこれは、 忙しい時こそ拾 える。 面白いも んで、リラック スしている時の 頭は周りをシャ ニットアウトしち ゃうから、 何かに気づくということがないのかもしれない。だから私は、急ぐ時はタクシーではなくあえてバ スや電車を使う。 新作落語を作るには巷のエピ ソードが大事なんです。
兎にも角にも噺家の一番はお客さん。 お客さ ん が喜んで笑ってくださるにはどうしたらいい かを常に最優先に努力します。様々な経験を芸に生かすんですが、 それを勉強としてやるん じゃなく、楽しまなくちゃダメなんです。
お手本はやっぱり、先代の圓菊です。 いざ「襲名」となった時に、 良き理解者は先代だったと 思い知った感じです。 襲名して半年が過ぎて、 つくづく思うのは、先代がやっていたことを百 パーセント真似していれば、それが一番いいの かもしれないってことです。
じゃあ先代は何を目標として落語をやってい たかというと、とても単純なことで、 人が笑っ てくれること、 楽しんでくれることに喜びを感 じていたんです。 これは他の噺家さんも皆、同じだと思うんですが、 その上、 落語が世の為、 人の為になるんだったら、こんな素晴らしい職 業はありません。 (談・続く)